沿革
ものづくりコーディネート企業へ。
そしてUrban Factoryを提唱
古河電工の特約店として1962年にスタートした弊社は、金属素材や電線素材を
問屋として右から左に流すと言う業務(流通商社)に特化することなく、素材を
ニーズに合わせて加工しユーザーに納入するという業態(技術系商社)を取って
まいりました。
当時は、電子機器の成長スピードが著しく、日本企業が更なる新技術を求め、
更なる新素材を必要としていた時代でしたが、新素材が開発されても加工法が
解らず、ユーザーから「加工持ちで納入してくれ」と言われ、それに対応せざる
負えなかったという背景もあります。
ともかく、ユーザーや素材メーカーから、弊社に対する新素材の加工法を開拓せよ
というテーマは数多く、これらが現在の弊社のコーディネート力の基盤と成って
おります。
弊社が創業した地が東京、大田区であったこともコーディネート力の強化と言う
点では幸いなことでもありました。
日本一の工業集積地域の京浜工業地帯、かつては自転車、オートバイ、そして
自動車、ラジオ、家電、電話交換機、通信機器、工業計器、工作機械、計測器、
カメラ、コピー機、スーパーコンピュータ、近年はパソコン、プリンター、半導体
機器、アミューズメント機器と世界の工業の近代化を支えてきた企業が半径10Km
の中に全て存在するという恵まれた地域での活動がコーディネート力の質の向上に
強い影響を及ぼしてきたことは言うまでもありません。
このような環境を通じ弊社は今、日本のものづくりの将来像の1つとして、
Urban Factory
を提案し、その実現に向けて活動を続けております。
ものづくりノウハウとコーディネート力を持ち、環境に対応したマシンを駆使し、
品質・環境保証は当然として、常に新分野の技術開発に挑む町工場。
Urban Factory。こんな夢に向かって走っています。
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